物理学における「情報」概念の進化と意識:古典論から量子論へ
私たちの意識は、外界からの情報を受け取り、処理し、意味を生成する複雑なシステムであると考えることができます。しかし、そもそも物理学において「情報」とはどのように捉えられてきたのでしょうか。そして、古典物理学から量子物理学へと科学が進歩するにつれて、この「情報」という概念がどのように変化し、それが人間の意識の理解にどのような新しい光を当てているのでしょうか。
古典物理学における「情報」の捉え方
古典物理学、例えばニュートン力学の世界観では、宇宙は精密な機械のように動き、すべての粒子の位置と速度が分かれば、未来の状態を完全に予測できると考えられていました。この世界観における「情報」とは、系の物理的な状態を完全に記述するためのデータとして捉えられます。例えば、ある瞬間の全ての分子の位置と運動量を知ることができれば、その系の「情報」を完全に把握したことになります。
しかし、この古典的な「情報」概念は、私たちの日常的な意識や知識とは少し異なります。これはあくまで物理量としての情報であり、主観的な体験や意味合いは含みません。また、熱力学の登場によって、情報と無秩序さ(エントロピー)の関係が明らかになりました。孤立した系ではエントロピー(無秩序さや、失われた情報)は増大する一方であり、情報は不可逆に失われることがあるという視点が加わりました。
古典物理学における情報は、基本的には「そこに存在する物理量を記述するもの」であり、観測者とは独立して客観的に存在すると考えられがちでした。
量子物理学が変えた「情報」の概念
20世紀に入り、量子物理学が登場すると、「情報」の概念は大きく変容しました。量子論では、粒子の状態は確定した位置や速度ではなく、「波動関数」という数学的な情報によって記述されます。この波動関数は、粒子がどの位置に、あるいはどの運動量で「存在する可能性」があるかを示す確率的な情報を含んでいます。
ここで重要なのが、以下の点です。
- 重ね合わせと不確定性: 量子系は同時に複数の状態を「重ね合わせ」ている可能性があります。これは古典的な物理量では考えられない状態です。また、不確定性原理により、特定の物理量(例えば位置と運動量)を同時に正確に知ることはできません。情報には根本的な不確かさが伴います。
- 観測と情報の確定: 量子系を観測すると、波動関数は収縮し、特定の状態に確定します。このプロセスは、古典的な観測とは異なり、観測行為そのものが系の状態に影響を与え、確率的な情報が確定的な情報へと変化することを示唆しています。観測者の役割が情報の確定にどう関わるのかは、「観測問題」として今なお議論されています。
- エンタングルメント: 量子もつれ状態にある複数の粒子は、たとえ遠く離れていても、一方の粒子を観測して情報が確定すると、もう一方の粒子の情報も瞬時に確定します。これは、情報が空間的に局所的ではなく、非局所的に結びついている可能性を示唆しています。
- 情報は物理的実体: 量子情報科学の発展に伴い、「情報は物理的な実体である」という考え方が強まってきました。有名な例として、ランドール原理は、情報を消去するには最低限の熱(エネルギー)が必要であることを示しています。情報とエネルギー、そして物理法則が密接に関わっていることが明らかになってきたのです。
量子物理学における情報は、確率的であり、観測と不可分であり、非局所的な繋がりを持つ可能性があり、そして物理的なコストを伴う実体として捉え直されるようになったのです。
量子物理学の「情報」概念が意識に与える示唆
このように変化した物理学の「情報」概念は、私たちの意識を考える上で、興味深いいくつかの示唆を与えてくれます。
- 意識の状態と重ね合わせ/不確定性: 私たちの心の状態も、常に明確で確定的なものではなく、様々な可能性が同時に存在しているように感じられることがあります。ある決断を下す前の迷いや、特定の感情に定まらない曖昧さなどは、ある種の「意識の重ね合わせ状態」として捉える比喩的な示唆を与えてくれるかもしれません。また、自己理解の難しさや予測不可能性は、意識における「不確定性」と重ねて考察する視点を提供します。
- 意識の認識と情報の確定: 私たちが何かを「認識する」という行為は、量子的な観測のように、曖昧な可能性の中から特定の現実(情報)を確定させるプロセスと似ていると考えることができるかもしれません。意識が世界の情報をどのように受け取り、それを「私たちが知覚する現実」として構築するのか、観測問題は意識の能動的な役割を示唆している可能性を問いかけます。
- 意識の非局所性と情報: 量子エンタングルメントが示唆する非局所的な情報の繋がりは、意識が個々の脳の中に閉じ込められた局所的な現象ではなく、何らかのより広い情報場や他の意識と非局所的に繋がっている可能性を示唆していると解釈する向きもあります。これは、集合的無意識や共感といった現象を科学的に考察する際の、あくまで示唆としての枠組みを提供するかもしれません。
- 意識は物理的な情報処理を超えているのか?: 物理学が情報を物理的な実体として捉え始めたことは重要ですが、意識は単に計算や情報処理を行うだけでなく、その情報に意味を与え、主観的な体験を伴います。物理学の情報概念は意識の基盤の一側面を説明するかもしれませんが、意識の持つ「クオリア」(感覚の質感)や「意味の生成」といった側面は、まだ物理学の情報概念だけでは捉えきれていない課題と言えるでしょう。それでも、「情報は物理的である」という視点は、精神的な体験が単なる脳の副産物ではなく、物理世界の根源的な性質と深く関わっている可能性を示唆します。
まとめにかえて
物理学における「情報」概念は、古典的な物理量の記述から、確率的、観測依存的、非局所的、そして物理的な実体へと、その捉え方を大きく進化させてきました。特に量子論が明らかにした情報の性質は、意識の理解に対し、単なる神経活動の集まりとしてではなく、より根源的な現実の織物としての「情報」との関わりを示唆する新しい視点をもたらしています。
私たちの意識がどのようにしてこの物理的な情報の世界と関わり、意味や現実を創り出しているのか。これはまだ科学的な探求の途上にある問いです。しかし、物理学における情報概念の進化を知ることは、意識の謎を解き明かすための一つの重要な手がかりとなり、私たちが世界や自己をどのように認識しているのかについて、改めて深く考える機会を与えてくれるのではないでしょうか。
量子物理学の視点から「情報」と「意識」の接点を探る旅は、科学的な知識だけでなく、私たちの人生観や精神性にも新たな示唆をもたらしてくれる可能性を秘めていると言えるでしょう。